檸檬の無為な日々

思考の外部ストレージです。

Twitterで誹謗中傷が起きるのは(似非言語学的考察)

1.導入

 私も少し前まではTwitterをしていました。見る専でしたが。

 ただ魂削れてるなと感じることが多くなったのでやめてしまいました。例えば喧嘩じみた会話がたまに目に入ったりすると、我が身に関係ないだろと思いつつも勝手に消耗していました。

 こういう喧嘩じみた会話や誹謗中傷が起きるのはどうしてなんだろうと思い、たまたま言語学の研究から1つ面白い考察ができそうだったので書いて置きます。

2.人から聞いた話では

 私がよく見ていたYoutuberの方で、やや炎上気質な方がいらっしゃたのですが、その人が言うには、「みんな画面の向こうに生きた人間がいることを忘れている」というのが誹謗中傷が横行する理由なんじゃないかと仰っていました。

 これはこれで説得力のある説明なんですけど、忘れていると言うよりTwitterでの「呟く」という行為がそもそも「誰かに向かって何かを言う」という構造を持っていないということなんじゃないかというのが私の発想です。

3.発話の構造と呟き

 私が昔読んだ論考で、そもそも発話(何か言葉を発するという行為)というのはどういう構造を持っているんだろうね?ということを論じているものがありました。それによると、発話にはこんな構造があるのだそうです。

「私が」「あなたに」「何かを」「言う」

いや、当たり前やんけと思われそうですが(苦笑)

 勘のいい方ならこのあたりで気付かれそうですが、私の考えではTwitterにおける呟くという行為は、「あなたに」と言う部分が空になっているわけです。そりゃそうなんですよね、だって呟きですから誰かに向かって言うわけではないんです。

 誹謗中傷の場合は、呟くというより「悪態をつく」みたいなものに近いのかもしれませんが。例えば、事故りそうになって、過ぎ去った車に対して「危ねえな、おい」と言う時のように、運転手に伝えたいわけではないけど、罵らないと気が済まないという感じで。

4.結局、誹謗中傷をする人間も普通の人かもね

 確かに匿名性を利用して個人に攻撃をすることを目的にしている人もいるとは思います。ただ、誰かを傷つけた言葉がすべて傷つけたその人に向けられたものとして発せられたものなのか、というのは微妙なところなんじゃないのかと私は思います。

 では、意図していない誹謗中傷は容認されるか?という疑問もわきますが、それはまだ考えたことがないのでよく分かりません。考えがまとまったら記事にするかもしれません。少なくとも、私は自分のことを、Twitterで誹謗中傷している人を咎めることができるほど偉い人間だとは思えない、ということです。