檸檬の無為な日々

思考の外部ストレージです。

言葉は言い尽くせない

(1) The Cat jumped over the wall.

                                                                 Vyvyan Evans Cognitive Linguistics A COMPLETE GUIDE p8より

 今回はこの一文から話を始めたいと思います。仮にに日本語に訳してみると、上の文は「猫は壁を飛び越えた」という具合になるかと思います。今回は英語についての話をするので、この日本語訳は参考程度にお考え下さい。議論の流れは、Vyvyan Evans のCognitive Linguistics A COMPLETE GUIDEに沿っています。

 恐らく、この文を呼んだ皆さんは次のようなイメージを思い浮かべたのではないでしょうか。

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ibid:p8より

では、質問です。"猫の飛んだ軌跡は弧を描く"という情報は(1)のどこに書いてあったでしょうか。例えば、単にjumpという動詞に注目すると、こんな解釈もアリなんじゃないでしょうか?

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ibid:p8より

 例えば、「猫がテーブルに飛び移った」という文でしたら、(a)のような解釈が自然な気がします。同様に、(b)はトランポリンなどをjumpするとこんな感じの軌跡になりそうです。(c)はスカイダイビングなどを考えるといいかもしれません。

 ここから分かるのは、jumpという動詞は、猫の飛ぶ軌跡を指定しないということです。

 では次に"over"が猫の飛ぶ軌跡を指定している可能性を検討してみましょう。すると、jump同様、overも曖昧であることが分かります。例えば、"We walked over the bridge."(私たちは橋を渡った)における"over"は概ね"across"と同じ軌跡を指定します。また、"hummingbird is over a flower."(ハチドリが花の上にいる)における"over"はaboveに相当します。これらの例からもoverという語がかなり多様な空間情報を伝えるのに使うことができることが分かりますね。

 くどいようですが、(1)の文についてさらに考えてみると、猫が飛び始めた位置のちょうど反対側に着地したことがイメージされますが、それを指定するような言語要素は明示的には(1)の文の中には含まれていません。

 さて、この話から導き出せるのは、言葉自体はほどほどに意味を伝えてくれるのであって、その言葉から我々が喚起する概念に対しては部分的にしか関与していない、ということです。  言い方を変えれば、言葉は我々が構築するイメージに対して、足場を提供してくれるに止まり、あくまでも私たちが、猫や壁、あるいは軌道を生み出す重力との関係などの知識、また発話されている文脈などなどを補い(1)のイメージを構築しているということでもあります。

 さて、Evansの議論を追うのはここまでにしておいて、この話を材料にTwitterなどSNSにおけるコミュニケーションについてちょっとだけ考えてみます。対面のコミュニケーションにおいては、言葉の意味もそうですが、対話する人との親しさ、視線、表情、身振り手振り、会話の文脈、会話の行なわれている時と場所など様々な情報を補ってやりとりをしています。一方、SNSにおけるやりとりは、専ら言葉によって為されています。

 ところが、先ほど見たように言葉は私たちが思っているほど、伝えたいことを言い尽くしているわけではありません。私はこれが日本語が読めない日本人がたくさん出現してしまう原因なのではないかと思います。SNSにおいては言葉以外の手掛かりが大変不足している場合があるのではないでしょうか。

 そのため、「あなた、日本語が読めないんですか?」といった批判は、「あなたは恐らく私の文脈を理解されていない」というのが実体に則した批判であり、「こいつの言っていることはおかしい」と言う前に、「この人はどんな文脈で話しているのか」と踏み止まってみることが、よりよりSNSでのコミュニケーションに繋がるのではないでしょうか。

  きっとTwitterで日本語が読めない日本人などいませんよ、あんなに短い文章なんですから。多分、読めていないのはその人の頭の中です。そして、頭の中を覗くには、言葉はあまりに口数が少ないのです。