「・・・っていう人が・・・って言っててね」について
1.導入
いつかテレビ番組でYoutuberのフワちゃんさんが「あたし、誰々がこう言っててね、みたいなこと言ってくる奴嫌いなんだよね。」というような趣旨のことを仰っていました。おそらく、自身の博識さをひけらかすような行為は嫌いだという意図で発言されたのだと思います。
私もそういったひけらかしについては、ある種の鬱陶しさを感じるというのはよくわかります。ただ、今回はそういった話ではなく、「誰々がこう言ってて」というような引用について、思うところを書いて置こうと思います。
ちなみに私自身は結構、「誰々がこう言っててね」とよく言います。というよりは、できるだけ言うようにしています。
2.書き置き
2.1.自分オリジナルの考え
私はよく、自分オリジナルの考えというのを持ち合わせてないな、と思うことがあります。周りにいた人や読んだ本、見たアニメなど、自分の周りにあったものを吸収して自分ができあがっているという自意識です。もちろん、その持ち合わせ方は私オリジナルのものですが、持ち合わせているものは私のものではありません。
こういう自意識の方は結構いるんじゃないのかと勝手に思っていますが、みなさんはどうでしょうか。
2.2.自分の考え方のルーツ
先日、歴史科の友人と話していたとき、なんでも哲学の教員の方が次のようなことを仰ったそうです。「俺は自分の思考のルーツがどこにあるかを知るために哲学をしている」
哲学の勉強をほんの少しした時のことですが、一番印象に残ったのは、考え方に名前がついていることです。いわゆる~主義とか~ismとかですね。つまり、この問題に対してこのように考えるという立場に名前がついているということです。
そこでその教員の方が仰った自分の考え方のルーツを探るというのは、すでに名前がついている立場と自身を相対化するというような意味なんだろうなと勝手に解釈しました。
2.3.引用について
私は引用というのは、「これは自分の考えたことではないのだけど」という前置きのようなものだと思っています。それは自身の発言に責任を持たないとかではなくて、自身を構成する知識の一部になってくれた引用元に対する敬意とでもいいましょうか。
そして、どこまでが他人の考えたことなのかをはっきりさせておかないと、どこからが自分の考えたことなのか分からなくなってしまいます。
また、自分の考えていたことが実はとっくの昔に誰かが考えていたことだった、ということもあるかと思いますが、それに関係する議論を参照すればさらに自分の考えを深めるチャンスになるかもしれません。
私の書いたこともきっと誰かが既に書いていることなんでしょうけど、もし私も読者の方の引用元になれれば、これほど嬉しいことはありません。