檸檬の無為な日々

思考の外部ストレージです。

太宰治「黄金風景」を読む

 1.導入

 私は太宰治の小説がとても好きなのですが、中でもお気に入りなのは「黄金風景」です。青空文庫でも読めるし、短い小説なので、よかったら読んでみて下さいね。『黄金風景』太宰 治 ◀ えあ草紙・青空図書館(無料・縦書き) (satokazzz.com)

 今回は私なりの読みを書いて置こうと思います。👆を読んで、解釈の突き合わせという感じで楽しんで頂けるといいかなと思います。

2.「黄金風景」の主題・構成

 この作品の主題(テーマ)は<求められる自身の敗北の是認><その葛藤と調和>です。

物語の構成としては

a.回想

b.家を追い出される

c.お巡り(お慶の夫)登場

d.お慶の家族登場

e.敗北宣言

となるでしょうか。順に読んでいきます。

a.回想
  1. 私は子供のときは、余り質のいい方ではなかった。
  2. おい、お慶、日は短いのだぞ、などと大人びた、いま思っても背筋の寒くなるような非道の言葉を投げつけて
  3. たしかに肩を蹴った筈なのに、お慶は右の頬をおさえ、
  4. いまでも、多少はそうであるが、私には無知な魯鈍の者は、とても堪忍できぬのだ。

 これらの表現には、自身の悪行・悪性を認める一方で、自身の過去の行いを擁護したいという思いがにじみ出ています。例えば、1の「余り質のいい方ではなかった」というのは「余り」という程度副詞が使われていますし、質の悪いとは言わずに、「質のいい方ではない」という否定を用いた語り方をしています(「は」が使われているのもポイントかもしれません)。3にも同様の葛藤が見て取れます。肩を蹴った筈なのに、実際には頬を蹴っていたことを匂わせるわけですが、自身の実際の行為は自分の心積もり以上の邪悪さを持ち合わせていたのだと片隅で気付いているのではないでしょうか。

b.家を追い出される
  1. 私は家を追われ、一夜のうちに窮迫し、巷をさまよい、・・・病を得た
  2. 私の頭もほとほと病み疲れていた。

 ここで、私が現在は家を追い出された身であることが明らかになります。加えて、病気になっているようですね。この追放は自身の無力を際立たせる働きをしています。家の中であれば、女中という立場であったお慶に強く出ることもできたのでしょうが、追放されてしまってはただ窮迫した個人になってしまったと。

c.お巡り登場
  1. 「おけい?」
  2. のろくさかったひとりの女中に対しての私の悪口が、ひとつひとつ、はっきり思い出され、ほとんど座に耐えかねた。
  3. 私は言い知れぬ屈辱感に身悶えしていた。
  4. 「子供がねえ、あなた、ここの駅につとめるようになりましてな、・・・」
  5. 「お慶も、あなたのお噂、しじゅうして居ります。・・・」

ここのお巡りとの会話で、お慶のことを思い出します。恐らく、時系列的には最初の回想の場面につながるのでしょう。この辺りの会話から、このお巡りはお慶の夫であることが推測できます。そして、お巡りは今度お慶を連れて来ようと言い出します。

d.お慶の家族登場→e.敗北宣言
  1. お慶は、品のいい中年の奥さんになっていた。八つの子は、女中のころのお慶によく似た顔をしていて、うすのろらしい濁った眼でぼんやり私を見上げていた。
  2. 負けた、負けた、と囁く声が聞こえて、
  3. 見よ、前方に平和の図がある
  4. 「頭のよさそうな方じゃないか。あのひとは、いまに偉くなるぞ」
  5. 「あのかたは、お小さいときからひとり変って居られた。目下のものにもそれは親切に、目をかけて下すった」
  6. 負けた。これは、いいことだ。

 私はお慶の家族を前にして逃亡しますが、「負けた、負けた、と囁く声が聞こえて」きます。そして海岸の家族を見つけたところで、「見よ、前方に平和の図がある」と語られます。この部分では、負けたと囁かれているので自分自身の発言ではないと考えられます。また「見よ、前方に平和の図がある」も命令文が使われており、ここでも自分ではない誰かがそのように命じているように語られます。しかし、最後には「負けた。これは、いいことだ。」と独白するような文になっており、先ほどまでは別の人格として分離していた敗北を認める精神が私と調和したと言うことが読み取れます。

 4や5は私の一人称で書かれている都合で若干解釈が悩ましく、皮肉として解釈するか、それかお慶の器が大きくなって本心からそのような発言をしていると解釈するかで決め手に欠けました。そして、お慶が夫に女中時代のことをどのように語っているかも明らかにされていませんので、お巡りの発言も皮肉なのか本心なのか読み取りかねるところです。

 ただどちらにしろ、「かれらの勝利は、私のあすの出発にも、光を与える。」とあるので、これは私の成長の可能性を示唆していると言えるかもしれません。皮肉であれば、お慶の勝利を鮮明にする言葉となりますし、本心であれば、私の可能性を言及していると解釈できますから。

3.まとめ

 回想の語りから、自分が勝者であってはいけないと葛藤する私の姿が読み取れます。しかし、自分の敗北を宣言することは難しく、その葛藤は解消されないままでした。しかし、お慶一家の平和の図を「見よ」と命じられることで、私は「負けた。これは、いいことだ。」と自分自身でその敗北を引き受けることができるようになります。

 以上のことから、本作の主題は<求められる自身の敗北とその是認><その葛藤と調和>と読みました。

 

また、小説の考察は書こうと思うのでよかった読んで下さい。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。