檸檬の無為な日々

思考の外部ストレージです。

ウニはおいしい?形容詞の背後にある行為

1.導入

 みなさんはウニは好きな方ですか?私はどうも苦手なままです。それからトマトもおいしいとは思えない派の人間です。こう言うとたまに「えー、おいしくない?」と言われることがあります。

 こういったやりとりに覚えのある方は、是非続きを読んでみて下さい。今日は、形容詞のお話です。形容詞と言えば、修飾する名詞の属性とか性質を表す、と言った理解が一般的だと思いますが、この記事を読むと形容詞の新たな一面が見つかると思います。

(今回の話は本多啓(2005)『アフォーダンスの認知意味論 生態心理学から見た文法現象』,本多啓(2013)『知覚と行為の認知言語学「私」は自分の外にある』を参考にしています)

2.探索活動

 何かを見るという行為は、一見「刺激の受容」といった受動的な行為だと思われているのではないでしょうか。

 では、例えば、目をつむって手のひらに乗せられた物体の形を把握しようとしたら、どうするでしょうか。きっとその物体を撫でたり、なぞったりするのではないでしょうか。この「撫でる」や「なぞる」というのは自分の身体を積極的に動かすという意味で能動的な行為といえますね。このように何かを知覚するときには自分自身の能動的な行動が必要になることが分かります。

 実は最初にあげた「見る」という行為も能動的な面があります。視覚による知覚を行なう際にも対象の輪郭に合わせて視線を動かすという能動的な行為が必要になっているのです。

 こういった知覚をするために必要な知覚者の能動的な行動を探索活動と言います。ここで、探索活動に関する心理学の研究を紹介します。

 例えば、人間の赤ちゃんは歩けるようになる前から視覚で断崖があることを知覚できるらしいです。しかし、この断崖を怖がるようになるのは自分で歩くことができるようになってからという報告があるそうです。つまり、自分で歩くという能動的な行為ができるようになって初めて恐怖を抱くようにわけですね。

3.形容詞と探索活動

 言語学の専門家の中にも探索活動に関連して言語を分析するようになった人がいらっしゃいます。ラネカーという研究者が形容詞について次のようなことを言っています。

Ultimately, I believe that most if not all adjectival properties are best characterized with respect to some activity or process involving the entity ascribed the property.What varies is how specific and how salient that process is.(究極的には、大体の、全てとは言えないかもしれないが、形容詞の特性は、その形容詞の特性を付与された実体に関わる何らかの活動やプロセスに関連した形で、特徴付けられる。形容詞によって違うのは、どのくらい特定的か、そしてどのくらい際立ってるかである。)

私の日本語訳がキモいので、本多先生の要約を引用しておきます。

すべてとまでは言えるかはどうかはともかく、ほとんどの形容詞の意味構造に、その形容詞の表す属性の持ち主となる事物が関わる行為ないし過程が存在しているということである。そしてその過程がどれほど特定的なものであるか、そしてどれほど気づかれやすいものであるか、ということが個々の形容詞によって異なっている

 例えば次の文を見てみます。

・堅い表面

 この「表面」が「堅い」という性質を知るには、私たちはその表面をなぞったり触ったりしてみないといけません。これが形容詞の意味の背後に、事物が関わる行為が存在しているということです。

 例えば英語には次のよう表現があります。

This book is easy to read.(この本は読みやすい)

 readは形容詞の背後にある探索活動を明示的に表した表現であるという分析がされています。読んでみて、簡単だったということですね。

4.で、ウニはおいしいのか?

 ここまでの話から、「おいしい」という形容詞の意味の背後には「食べる」とか「味わう」という行為があるということが想像できます。つまり、「おいしい」というのはその食べ物の特性であると同時に、その人が食べてみて知覚した感覚でもあるということです。なんだか当たり前の話をしていますが。

 私がこの話を知ったときに思ったのは、物事の性質を語ろうとするときに、ある程度、私情みたいなものが入り込んでくるということです。だから、物事の善し悪しとかを考えてるときに、これは私にとっては良いこと、私にとっては悪いことみたいな意識を常に持つようになりました。

 別の例をあげれば、数学が苦手な人にとっては、漸化式が難しいでしょうし、英語が苦手な人は、リスニングが速いと言うかもしれません。

 本多先生の本には、こういったことを端的に世界を語ることは自分自身を語ることだと書かれていました。

 結論、ウニはおいしくない。